携帯電話開発で久しぶりの再会

CSKからMSEに転職したHさん

松下システムエンジニアリング株式会社(通称 MSE)は、松下通信工業と松下電器産業が共同出資したソフトウェア専門会社です。私がCSK時代に派遣先のM電器で1年半ほど一緒に開発をしたHさんは、CSKからMSEに転職したと便りがありました。

私が金沢にUターン転職してからは、Hさんの結婚式に招待して頂いたり、大阪のマイクロコンピュータショーを一緒に見学しましたが、金沢の私と京都のHさんとの間では毎年の年賀状を交換する程度でした。

CSKから松下通信金沢研究所に転職した私

私は2度目の転職で、1989年に松下通信工業の100%子会社の松下通信金沢研究所に転職しました。2003年1月、パナソニックグループのドメイン再編により、松下通信工業株式会社は事業を分割して、事業分野ごとに別組織となりました。

  • PMC : パナソニックモバイルコミュニケーションズ株式会社
  • PAS : パナソニックオートモーティブシステムズ社
  • PSS : パナソニックシステムソリューションズ社

松下通信工業の存続会社は、パナソニックモバイルコミュニケーション株式会社(PMC)となり、新たな出発を図りました。パナソニックモバイルコミュニケーションズ株式会社は、携帯電話端末事業に特化した会社です。

私たち松下通信金沢研究所も、親会社のドメイン再編によりパナソニックモバイル金沢研究所となりました。

モバイルAVの開発担当に

2004年、私は20名を超える技術者が所属する画像システムチームの組織責任者を務めていました。PSS社のセキュリティ分野の画像処理や画像認識、PMC社の携帯電話向けの画像処理などの開発を担当していました。

2005年の組織変更で、大きくなった画像システムチームを分割しました。PSS社の画像開発を担当するチームと、PMC社のモバイルAVを担当するチームに分割しました。携帯電話の画像技術者と音声技術者を、モバイルAVとして集結したチームを作り、私はモバイルAVを担当する組織責任者となりました。これまで担当していた画像技術に加えて音声技術も、私の担当分野となりました。

久しぶりの再会

2005年、私は携帯電話の開発に関係していましたので、打ち合わせで横浜の佐江戸に出張を繰り返していました。佐江戸地区のS10棟は、PMCとMSEが入居していました。7階が多目的ホールとなっており、打ち合わせなどで多くの人がいました。

その中で、見覚えのあるHさんを見かけました。Hさんと一緒に仕事をしたのは、1979年ごろ私がCSK時代にM電器で開発していた頃ですので、本当に久しぶりです。2005年ごろ、Hさんは携帯電話開発のために横浜の佐江戸に単身赴任していたそうです。


世間は狭いな・・・。この世の中は何かでつながっているのだなと実感しました。

2人とも、時を別々にしてパナソニックグループの会社に転職し、さらに携帯電話関係の開発に従事していた偶然からの再会でした。