オフコンメーカR社でオフコンアプリ開発

CSKからオフコンメーカーR社に派遣

1978年4月、コンピューターサービス株式会社(通称 CSK)に入社してオフコンメーカーR社に派遣になりました。オフコンメーカーR社は、ペンコールというオフコンを販売していました。このオフコンは、ディスプレィモニタ、プリンタ、8インチフロッピーディスクを設置した一体型のオフコンでした。ブック型パネルボードに商品名などを記載して、パネルボードの配列の穴にライトペンをタッチするだけでデータ入力できることが特徴でした。

一般的なオフコンでは、ユーザーが商品コードを決めて商品マスターを登録します。しかし、このペンコールではユーザーが商品コードを決めなくても、パネルボードの穴の位置で商品コードが決まる仕組みとなっていました。このように、キーボードに不慣れなユーザーにもオフコンを容易に使用することができました。ブック型パネルボードは複数ページで構成され、その動作の仕組みはパネルボードの行列に並んだ穴をライトペンでタッチするとページ番号・行番号・列番号がコンピュータに入力されて、この組み合わせで商品コードなどが決定する仕組みとなっていました。

このR社のペンコール・オフコンは、ベンチャー企業V社と共同開発していたものでした。

  ソフトウェア技術者としての初仕事

ソフトウェア技術者としての初仕事は、CSKの先輩社員が書いた仕様書に従ってオフコン用の業務アプリケーション開発することでした。開発言語は、PMAPという簡易アセンブラ言語でした。

入社当時は、販売管理・仕入管理・経理システムなどの業務知識はまったくありませんでしたが、半年もすると業務アプリケーションの理解が深まりました。

システムフローで、システム全体のシステム構成を設計します。

以下のようなプログラムでシステムを構成します。

  • マスターメンテナンス処理で各種マスターデータの登録をします。
  • 売り上げデータ入力で、日々の売り上げトランザクションデータ登録します。
  • 売り上げ日報などの帳票を印刷します。
  • 日時更新処理で、日時集計してトランザクションでマスターを更新します。
  • 月次集計で月報帳票を印刷します。

そのうち、先輩社員やR社のSEと一緒にお客さまのところに伺い仕様打ち合わせにも参加するようになりました。そして、経験を積んで自分でシステム設計ができるようになりました。

オフコンのシステムエンジニア&プログラマとして業務アプリケーション開発に携わりました。

  • お客さまと仕様打ち合わせ
  • システム設計 (システムフロー、ファイル設計、画面設計、帳票設計)
  • お客さまに仕様説明をして要望を満たしているか確認
  • プログラム仕様書作成
  • プログラム開発
  • 単体テスト、システムテスト
  • 操作マニュアル作成
  • お客さまへの納品と操作説明
  • 納品後のフォロー

 社会人としてのマナーも教わる

私は、R社のK係長に同行してお客さまの会社に打ち合わせに行くこともありました。K係長はお客さまの会社の玄関に入る前に、着ていたコートを脱いでいました。その背中を見て、私も同じようにコートを脱ぐようにしていました。

後でK係長に聞いた話です。コートを来たままお客さまの会社に入っていくのは土足で相手の心の中に入っていくようなものなので、たとえ寒くても外でコートを脱いでお客さまの会社に入るのが社会人のマナーだと思っているとのことでした。私は、なるほどと思い、以来ずっとこの行動を続けています。

お客さまとのトラブルから学ぶ

オフコンのシステムエンジニアとして一人前になったと思った頃の話です。
R社のK係長とお客さまとの打ち合わせに伺ったときに「こんな風に仕様変更したいのだけど」と要望がでました。私は、その要望を取り入れると処理が増えて遅くなってしまうと直感でわかりました。そこで、「その仕様変更は可能とだと思います。しかし、遅くなって使いにくくなってしまいます」とその場で即答してしまいました。お客さまは、顔色を変えてテーブルを叩きながら大声で「それじゃ困るんだ」とお怒りになりました。20代前半の若造から、要望を即答で否定されたので気分を害されたのでした。

帰り道にK係長から、こういう場合は「社に持ち帰って検討いたします」とまず答えるべきだと忠告されました。会社に戻ってからゆっくり考えれば、別の解決案が浮かぶこともあります。もし、仕様変更が無理な場合はお客さまに理由を説明して代替えの案を提示することが大事です。

私は、技術者の観点から口走ってしまい、お客さまの立場に立って考えていなかったのでした。システムエンジニアとして、お客さまから大事なことを学びました。