CSKの大川社長
CSKでは、ほとんどの技術者は朝に自分の会社に出社するわけではなく、派遣先の企業に出社します。大川社長は社員の心をひとつにするために、いろんな行事があるごとに社員を集めていました。
例えば、ボーナス支給日は全社員を大阪の会場に集めて経営理念や講話があり、その後にボーナスを現金で支給するということをしていました。現金の札束を頂けるというのは、とてもインパクトのあることでした。
CSK技術発表会とは
そんな会社行事のひとつとして年に1回、社員の持っている技術を発表する技術発表会が開催されていました。私は、同期社員が100名以上もいるので少しでも目立つ技術者になろうと、そのような行事に積極的に参加していました。
入社1年目の時は、技術発表会とはどんなものだろうと興味深く参加しました。そして、入社2年目の時に原稿用紙に論文を記述して技術発表会に応募しました。当時は、パソコンやワープロなどありませんから、会社から帰宅してから手書きで原稿を書きました。
数週間後、技術発表会の書類審査を無事通過して技術発表メンバー5名の中の1人となりました。
技術発表会に向けて、印刷された論文集のゲラ刷と原稿を見比べながら赤鉛筆で誤りの訂正などの校正をしました。また、発表するためのプレゼンテーション資料の作成や発表用の原稿を作成して、発表練習を繰り返しました。当時は、パワーポイントなどなかったので、発表内容を大型のA0版の模造紙に太いペンで書いたような記憶があります。
また、会場入り口に貼るための技術発表ポイント宣伝ポスターも用意しました。
プレゼンテーション資料やポスターの作製は、派遣先の業務が終わってから、大阪CSKで夜に作業を行いました。
スクリーン・エディタの試作
私はTK-80というマイコン・ボードで休日に趣味のプログラミングをしていました。
プログラムのソースコード入力方法は、パンチカード、紙テープなどありますが、大学の時に使用した タイムシェアリング方式のDEC System20 で端末に向かってラインエディタで対話的に入力する方法を体験していました。そして、ソースコードの入力・修正効率が向上すると、もう少し開発効率が上がるだろうと考えていました。
また、ソースコードをプリントアウトして、机上デバッグすることが多かったのですが、画面でソースコードを上下にスクロールして上から下へ、下から上へと自由に眺めるように見ることができたら素晴らしいと考えていました。
現在のWindowsのメモ帳やUNIXのviのような、エディタをイメージしていました。
その当時は私の知る限り、上下スクロールしてソースコードを眺めるようにソースコードを修正できるスクリーン・エディタは見たこともありませんでした。
趣味のプログラミングでも、自作の簡単なライン・エディタを使用していたので、あまり開発効率が良くないので自分のTK-80マイコン・ボードでスクリーン・エディタを試作してみました。ある程度、スクリーン・エディタが動作するようになると、スクリーン・エディタのソースコードをスクリーン・エディタ自身で修正できるようになり、開発効率が向上することを体感しました。
使用している内に上下のスクロールをもっと簡単操作したいと思うようになりました。ボリュームのつまみを取り付けて、右に回すとカーソルが下方向に移動して画面がスクロールし、左に回すとカーソルが上方向に移動して画面が逆スクロールすることを思いつきました。そして、回す角度によりスクロール速度が変わるようにしました。角度が小さいとゆっくりスクロールし、角度が大きいと速くスクロールすることを考えました。
ボリュームによるAD変換回路を付けたいのですが、8080マイコンへの接続方法が面倒だったので、タイマーIC555を使用して発振回路を作り、ボリュームでパルス波の波長をコントロールしました。このパルス波を8255パラレルポートに入力して、パルス波のON/OFFをソフトウェアでポーリングして波長の長さから、ボリュームの向きと角度に変換して実現しました。
技術発表会の論文と発表
1980年3月8日(土曜日)に技術発表会が開催されました。週休2日制が採用されいる大手企業への派遣技術者が多いので、なるべく多くの技術者が参加できる土曜日に開催となっていたようです。
技術発表会論文では、ソフトウェア開発効率向上のためにスクリーン・エディタが有用だということを説明しました。そして、私の考えたスクリーン・エディタについて論述して、これからのソフトウェア技術者は、ソフトウェアツールで武装して開発効率を向上することが必要であるという趣旨を書いたと思います。
技術発表会で、上下にスクロールするスクリーン・エディタの特徴をプレゼンテーションして会場の技術者に理解してもらえるか少々不安でした。
そこで、技術発表会の当日に私のTK-80の実機を会場に持ち込んでデモンストレーションしながらプレゼンテーションしました。何度も発表練習をしていましたのでスムーズに発表することができ、デモンストレーション効果もあり無事発表を終えました。
質疑応答では、技術部長からボリュームの操作によってスクロールできるのはおもしろいとコメントを頂き、「ボリュームで行と行の間にカーソルを止めることはできないのか」と質問されました。「そこまでは考えていませんでした」と答えたと記憶しています。行と行の間にカーソルを止めて、行挿入が簡単にできそうだと、その時に思いました。
他の人の発表は覚えていませんが、同じM電器に派遣されていたYさんの発表はインパクトがありました。漢字ディスプレィに関する技術でした。まだROMが高価な時代で24×24ドットのフォントを格納する代わりに漢字の部首の形を格納して、部首の組み合わせ方で漢字の表示を行うという趣旨の内容だったと記憶しています。例えば、手へんを左側、右上に「十」、右下に「又」を配置すると「技」という漢字が表示できるというアイデアでした。やはり、自作のマイコン・ボードを持ち込んで、部首の配置で漢字が表示できることを視覚的にプレゼンテーションしていました。
技術発表会の審査発表
すべての技術発表が終わった後に、審査員による審査会議が行われました。私は、発表が終わり緊張もとけてほっと一息ついていました。
いよいよ審査発表です。緊張の一瞬です。第12期技術発表会の最優秀賞は、私に決定しました。とても、うれしかったです。
賞状と金一封を頂きました。
金額は覚えておりませんが、大金だった記憶があります。おそらく10万円だったと思います。大学新卒者の初任給が10万円程度だった当時に、金一封がこんなに大金だったことにびっくりしました。大川社長は、インパクトのあるお金の使い方をする人だと思いました。
続・技術発表会
CSKにとって有益な技術発表だったということで、私とYさんの発表を東京のCSK社員にも見てもらうことになりました。
マイコン・ボードを東京のCSK本社に持ち込んで、2人の技術発表を再び行いました。こちらの発表も、好評で多くの人が私たちの技術に興味を持っていただけたように思います。
私の入社当時の目標である「いろいろな行事に積極的に参加して、少しでも目立つ技術者になる」は、順調に実現してきたと思います。
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