松下通信金沢研究所の設立
1989年5月、地元新聞に「松下通信金沢研究所」設立のニュースと技術者募集の求人広告が掲載されていました。(株)松下通信金沢研究所は、松下通信工業(株)の子会社で地方の人材を活用するために作られた研究所です。
その頃、私はマイクロプロセッサ系の開発で自分のスキルをもっと向上したいと考えるようなっていました。大手企業の地方研究所で自分を試してみたいと思い、再び転職をする決心をして履歴書と職務経歴書を送付して応募しました。
7月初旬に「採用選考のご案内」という通知が届きました。
7月16日に面接を受けました。面接はとても緊張したことを覚えています。自分でも不思議ですが、面接の受け答えはとてもポジティブに行えました。その約1カ月後の8月17日付けで、うれしいことに「採用内定」の通知を頂きました。
8月末ぐらいに退職願を提出して、転職の意思を上司のN所長に伝えました。
管理職だった私は、規定により3カ月間の引き継ぎ期間後に退職となります。プロジェクトからフェードアウトしながら11月末まで共同コンピュータに勤務しました。
そして、1989年12月1日に、松下通信金沢研究所に初出社して転職しました。
松下通信金沢研究所とは
松下通信金沢研究所は、松下通信工業の技術本部に配置された拠点研究所のひとつです。地域での優秀な技術者を採用して、松下通信工業の業務を地域で展開するために、仙台研究所/金沢研究所/静岡研究所の三つの子会社が設立されました。
松下通信金沢研究所は1989年5月に設立して間もない会社です。私は、4人目の技術社員でした。開発業務を拠点ですぐに行うことは困難です。仕事のやり方や人脈を作るために親会社の松下通信工業に研修のために駐在しました。