初めまして
『ある計算機屋さんの手帳』ウェブサイトにようこそ。 計算機屋さんのYukiと申します。 私は子供の頃からエレクトロニクスに興味を持ち、高校で電子工学、大学で計算機科学を学びソフトウェアの面白さと奥深い技術を知り、ソフトウェア技術者の道に進みました。【 管理人 Yuki 】
管理人への連絡は、[メール連絡]からお願いします。なぜ、計算機屋さん?
ソフトウェア技術者である管理人は、なぜ自分を「計算機屋さん」と呼んでいるのでしょうか。 私は、大学の計算機科学科でコンピューターサイエンスを学び、ソフトウェアの視点だけではなく計算機科学としての広い視野でこの技術を見ているからです。 コンピューターに関わっている人たちは、自分たちを「計算機屋さん」と呼ぶことがあります。大学の教授も自分のことを計算機屋さんと言っていました。ウェブサイトの目的
その昔、共立出版から出版されていたコンピューターサイエンス誌「bit」を知っていますか? 管理人は大学時代に、技術情報誌「bit」に出会ってから2001年3月に休刊となるまで愛読していました。 この「bit」を読んでいると、無数の「点」だった技術同士がつながり「線」となりさらに「面」となり技術の理解を深くしてくれました。また、素晴らしい技術に偶然に出会ったり、予想外のものを発見したりすることが多く、計算機屋さんとして多くのことを学びました。 これまで学んだことやソフトウェア技術や書籍の紹介をしていきます。 本屋で何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然発見したことはありませんか? 『ある計算機屋さんの手帳』ウェブサイトは、そんな偶然の出会いであるセレンディピティ(serendipity)になれば幸いです。ソフトウェア開発について思うこと
ソフトウェア開発は簡単でもあり難しいものであります。ちょっと矛盾しているようですが、趣味として小さなプログラムは簡単に作れるのに対して、職業としてのプロフェッショナルなソフトウェア開発は難しいと考えています。当然、開発規模も大きくなりプロジェクト参画者も増え、使い続ける間は環境の変化などによるメンテナンスが継続します。 管理人は、ソフトウェア技術者を何十年も続けています。ソフトウェア開発において、複雑な不具合や困難な課題の壁に遭遇したときもありました。 私の経験から『乗り越えられない壁は無い。どんな難問にも必ず策があり、頑張れば答えが見えてくる』ものです。 夢の中で解決策を一生懸命に考える自分がいて、いろいろと考え抜いてヒントがひらめき、翌日に試してみると解決できたということが何回もあります。 そんな経験から、ソフトウェア開発は苦しいこともあるが楽しいと思います。経歴
ソフトウェア技術者の経験を重ねながら、縁あって転職すること2回。自分の理想とする会社で開発・研究を続け、2016年に定年退職しました。- 1971年4月 入学
- 金沢市立工業高等学校 電子科
- 1974年4月 入学
- 京都産業大学 理学部 計算機科学科
- 1978年4月 入社
- コンピューターサービス 株式会社
- 1981年4月 転職
- 共同コンピュータ 株式会社
- 1989年12月 転職
- 株式会社 松下通信金沢研究所
- 2003年1月 (社名変更)
- 株式会社 パナソニック モバイル金沢研究所
- 2007年7月 (拠点統合)
- 株式会社 パナソニック モバイル開発研究所
- 2013年4月 (社名変更)
- 株式会社 パナソニック システムネットワークス開発研究所
- 2016年3月 定年退職
- 株式会社 パナソニック システムネットワークス開発研究所
- 2018年11月
- フリーのライターとして活動