マルチメディア情報端末のデモアプリ開発
1994年、マルチメディア情報端末のデモアプリ開発を受託しました。
松下通信工業の情報システム事業部では、Windows for Penを搭載したタッチペンで文字入力できるマルチメディア情報端末を開発していました。情報システム事業部は、企業向けの情報機器を開発する部門ですので、この情報端末を企業に効果的にデモンストレーションするには、何が良いだろうか?
マルチメディア情報端末は、ペンで絵を描けることや、手書き文字入力できることが特徴でした。PCMCIAカードスロットを内蔵しているので、ネットワークカードを装着すればネットワークにつながります。PHS通信カードを装着すれば、無線でネットワーク接続することも可能です。そこで、マルチメディア情報を伝送できるメールアプリの仕様検討を行いました。
メールのプロトコルは、RFC規格を読んで勉強しました。MIME(Multipurpose Internet Mail Extensions)規格によれば、メディアタイプを指定して複数パートのコンテンツをまとめて送付できることがわかりました。メール送信はSMTP(Simple Mail Transfer Protocol)プロトコルで、メール受信はPOP(Post Office Protocol)プロトコルで実現することがわかりました。無線通信することを考慮すると、POPプロトコルでメールの全文をすべて受信すると受信時間が長くなってしまいます。そこで、本文だけ受信し、指定したコンテンツ・パートだけを受信できるIMAP(Internet Message Access Protocol)プロトコルを採用することにしました。
メール画面のデザインは、Windowsのマルチドキュメントインターフェイス(MDI)を採用しました。メールの親ウィンドゥの中にコンテンツごとの子ウィンドゥを配置することができます。例えば、メール本文のテキストウィンドゥがあり、ペンで手書きした画像ウインドウがあり、添付した画像ウインドウが開いています。このメールを受信した側では、メール本文のテキストウインドウを表示した状態で、他の子ウインドウの情報だけが表示されています。受信指示を与えたタイミングでIMAPプロトコルを使用して指定したパートの画像ファイルを受信します。
実際の機器は開発中だったので、開発環境はWindows for Pen搭載のPanasonicレッツノートを利用しました。Winsockというプロトコルスタックを導入して、ソケット通信でネットワーク通信のコア部をC++言語で実装しました。
画面部分も、Visual C++で記述する予定でしたが、マイクロソフトのMFC(Microsoft Foundation Class)は想像以上に難解で技術情報もほとんどありませんでした。目的がデモアプリなので、画面系はVB言語で書いてC++言語で書いたコア部を呼び出すようにして実現しました。
メールサーバはUNIXを使用して、UNIX側のメールサーバの設定について調査してテスト環境を作成しました。
テストフェーズに入りある程度動作するようになったころ、業務で使用しているメーラーを開発中のメールアプリに変更して使用感の試行を実施し、改善を繰り返しました。
初めてのWindowsアプリ開発だったので少々難航しましたが、ようやく完成しました。
COMDEX’95に出展決定
完成したマルチメディア情報端末をラスベガスのCOMDEX’95に出展することになりました。
COMDEXといえば、世界最大規模のコンピュータの製品展示会であり、商談のきっかけとなる見本市のようなもので新しい機器が出展されており、技術者ならば1度は行ってみたいと思う展示会です。そのCOMDEX’95に自分たちが開発した機器とソフトウェアが出展されるということは、とてもうれしいことです。
松下通信工業では、アメリカの無線通信方式のPCMCIA通信カードも開発しており、このマルチメディア情報端末に装着して、無線通信できるマルチメディア情報端末としてデモンストレーションすることになりました。
最初は、松下通信工業の技術者がCOMDEX’95に行くと聞いていました。しかし、松下通信工業の責任者の人は、現地で動作トラブルがあると開発した人でないと対処できない場合があると考え、トラブル対応要員として私が同行することになりました。
初めての海外出張
私にとって初めての海外出張です。同行者の松下通信工業の責任者はアメリカで商談があったので先に出国しました。サンフランシスコのホテル近くの公園で待ち合わせる約束をして、私はひとりで成田から出国しました。
無事、サンフランシスコにたどりつけるだろうか?まだ、携帯電話もあまり普及しておらず持っていなかったので、何かのトラブルで合流できなかったら連絡手段がありません。公園で無事合流できるだろうか、とても不安でいっぱいです。
重たいスーツケースを引っ張りながら、公園の目立ちそうな場所で約束の時間を待っていました。約束の時間の数分前ぐらいに、無事合流することができ安心しました。
サンフランシスコから、ラスベガスに飛行機で移動して、宿泊するホテルに無事チェックインできました。
COMDEX’95 舞台裏と会場
COMDEX’95は、現地時間で1995年11月13日(月)から17日(金)まで開催されました。私たちは金曜日にラスベガスに入り、土曜日と日曜日に会場設営を行いました。
最初にメールサーバを起動しました。そして、マルチメディア情報端末を複数台使用して、マルチメディアメールの送受信の動作確認を行い、無事動作することが確認できてひと安心です。私は、展示会の期間中は、トラブル対応に備える裏方のつもりでいたのですが、責任者の方の指示で私も展示会の説明員を務めることになりました。
11月13日、いよいよCOMDEX’95の幕開けです。
私は英会話力に乏しく、説明員としてとても不安でした。しかし、簡単な単語を並べて片言の英語で話し、なんとかコミュニケーションすることができました。また、展示会に訪れる日本人は多く、日本人説明員を見つけるとうれしそうに日本語で質問してくるので、私も受け答えが助かりました。
私たちの開発したマルチメディア端末は、下に示した写真の端末です。右横のPCMCIスロットに通信カードを装着して無線通信でメールを送受信できます。
説明員として、朝から夕方まで立ち続けて少々疲れました。夜は松下通信工業の方々と、ラスベガスのショー見学やホテルの見学など楽しんでいました。あまり、自由な時間がなかったので、ラスベガス名物のカジノは30分程度見学しただけで、スロットマシンも数回だけ遊びました。
せっかく、COMDEXに来たので、半日だけ説明員を変わってもらい展示会の見学をしました。
さすが、コンピュータ技術の祭典のCOMDEXです。Panasonicをはじめとする、マイクロソフト、IBM、NECなどの大手メーカや台湾などの小さなメーカがいろいろな技術を展示していました。
Panasonicは、携帯電話に小さな画面をつけてテレビ電話ができるVideoPhoneを展示していました。また、聞いたこともないメーカがSoftBoardという白板に手書きしたものをパソコンに入力する装置のデモンストレーションを行っていて興味深かったです。
最終日にCOMDEXが閉会すると直ちに機材の撤収作業を行い、忙しいラスベガスでの1週間はあったという間に終わってしまいました。