共同コンピュータにUターン転職

豪雪に負けず面接へ

1980年の12月、高校時代の先生から共同コンピュータの金沢営業所が開設されるので地元にUターン転職しないかと連絡がありました。CSKでいろいろと技術修得したいという思いもありましたが、地元にUターン転職したい気持ちもありました。

1980年の年末に、福井県の共同コンピュータ本社で面接を受けました。
忘れもしません、この年の冬は56豪雪と呼ばれる大雪でした。面接当日に金沢から福井に向かうJRが大雪のために運休になってしまいました。JRのバスによる振替運転が行われていたので、雪のために遅れる旨の電話連絡をしてバスに乗り込み福井県に向かいました。雪が降りしきる中、予定より遅れて福井駅に着きましたが福井市内の交通機関はすべて運休状態でした。地図を見ながら、雪道を1時間ほど歩いて共同コンピュータに到着です。

そして、面接に挑みました。
共同コンピュータは、1981年4月に金沢営業所を開設するので経験者を募集していました。マイクロコンピュータ事業を展開していくとのことで、私の希望する技術に携われると考えました。

面接が終わり、福井駅まで送っていただきましたが、JRは不通状態でバスの振替運転も行われていませんでした。しかたないので、福井駅前のビジネスホテルに宿泊し、翌日にようやく動き始めたJRに乗って金沢まで戻ってきました。

年が明けて1981年、採用内定の連絡を頂きましたのでUターン転職を決断しました。

共同コンピュータに転職

1981年4月中旬、共同コンピュータにUターン転職しました。

所属は、希望したマイクロコンピュータ部です。技術部門は、営業担当の部長とN課長と私と新入社員2名の5名体制からのスタートです。

私は、マイクロコンピュータの産業用への応用展開ソフトウェア開発をしたいと考えていましたが、会社方針としてパソコンの販売から着手することになりました。