パソコンによる業務システム開発

               公開日:1981/04/21

パソコン関係の仕事に

1981年、新しい扉を開いて共同コンピュータに転職した私は、わずかな人数でパソコン関係の仕事を担当しました。実質的に技術担当は私ひとりという状態からのスタートです。

8ビットマイクロプロセッサZ80を搭載しBASIC言語が使用できるパソコンが売れ始めた時代で、NEC PC-8001はベストセラー機として売れていました。当社は、汎用コンピュータ関係で日立製作所と取引があったので、日立製作所のベーシックマスター レベル3 というパソコンを扱うことになりました。高性能8ビットマイクロプロセッサ6809を採用した高性能なパソコンです。

パソコンは20万円以上もする高価なもので、導入する企業はまだまだ少ないのが現実で、ほとんど売れない状態が続きました。

マイコン教室講師を担当

パソコンの使い方を知ってもらうために、共同コンピュータのマイコン教室を企画しました。私は、BASIC言語による初級コースと中級コースのカリキュラムを検討してマイコン教室の講義用テキストを書きました。

マイコン教室ポスターを作製し、N課長と一緒に市内をまわり、目立ちそうな街角の商店にポスター掲示の許可をとりながら何十枚ものポスターを貼りました。

受講生も集まり月に1回のペースですが、私が講師を担当してマイコン教室を開講することができました。CSK時代に社内の講習会の講師をした経験があったので、無事にマイコン教室講師を務めることができました。しかし、コンピュータもわからない素人にBASIC言語を教えるというのは難しいことだとつくづく思いました。

日立製作所でも同じようにマイコン教室を実施することになり、私が日立マイコン教室講師を務めました。また、高校の先生を対象に高校への出張マイコン教室や企業への出張マイコン教室も何回か実施しました。

パソコン系の業務を担当

営業が企業を訪問した営業活動の結果、開発件名を受注できるようになってきました。

パソコンのBASIC言語を使用して、システム開発を行うわけです。お客さまを訪問してどんなことを実現したいのか要望をヒアリングして要求仕様にまとめます。お客さまは、コンピュータについては素人ですので、打ち合わせ資料はパソコンで使用する画面イメージと帳票イメージが中心となります。何回か打ち合わせをして、システム全体像を明確にするためにシステムフローを作成します。
プログラム本数や規模の概算見積もりから開発工数を試算して、見積金額を算出します。正式な受注は、見積書を提出して納品先の企業の承認が得られてからになります。失注する可能性もありますので、概算見積もりは数日間で行うようにしていました。

パソコンのBASIC言語を使用したシステム開発ですので、小規模なシステムとなります。CSK時代にオフコンによる販売管理・仕入管理・経理システムなどの開発経験が役に立ち、システム設計からプログラミング・テスト・操作マニュアル・納品までをひとりで担当することができました。

パソコン系のシステム開発は、約3年間ほど続きました。

 

 

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