大川功 人間の魅力

私の38年間の技術者人生のスタートはCSKから

2016年3月末で定年退職を向かえました。私が社会人となったのは、1978年4月にコンピューターサービス株式会社(後のCSK)に入社したときでした。この会社から私のソフトウェア技術者人生がスタートして、38年間のファーストステージを走りきりました。

なぜか、CSKの大川功社長が懐かしく思えてきてネットで検索すると「大川功 人間の魅力」という本が発行されていたのでさっそく読んでみました。

大川功 人間の魅力

  • 『大川功 人間の魅力』
  • 大川功記念会 編
  • 株式会社 アスペクト
  • 2011年6月17日 初版

大川功 人間の魅力

大川功 人間の魅力

 

目次

第1章  予兆
第2章 起業
第3章 苦境
第4章 道程
第5章 上場
第6章 飛龍
第7章 激動
第8章 決断
第9章 貢献
第10章 昇龍


新しい産業には、必ずその「予兆」があるという.
その「予兆」をのがさずにとらえ、
これを命がけで事業化しようとする人に対して、
天は「時流」という恩恵を与え、そして、
「使命」という社会的責任を負わせるのだと思う。
私の人生は、それに尽きる。

大川功

 

大川語録

石油ショックの不況期の1978年に274名、1979年に400名の大量採用をして社員数は2000名を突破したことが書かれています。私は、1978年にCSKに入社しましたので、大阪と東京を合わせると同期社員は100名どころではなかったことになります。

CSK時代に大川社長から聞いた言葉が懐かしく思い出します。


人生は感動の歴史でつづれ


経営とはトップのビジョンに全社員が共鳴し、全社員の努力を通じてその夢を実現すること。

会社は絶対に潰してはいけない。「ゴーイング・コンサーン」、つまり企業の存続可能性、企業は永遠でなければならないという考え方である。


社員が何千人いようが、それぞれ向いている方向が違い、考えていることが違えば、それは烏合の衆にすぎない。みんな生まれも育ちも違うし、価値観も違う。趣味、学歴、能力も違う。
だから、理念、ビジョンが必要だ。バラバラなやつを結びつけて、同じひとつの方向へ引っ張っていく。そういう強力なベクトルを作り出す。それが経営理念であり、ビジョンであり、夢なんです。
会社はひとつの組織ですから、烏合の衆じゃダメで、こっちだという方向を指し示す強力な磁石が必要なんです。


三つのWITHも懐かしい言葉です。

私どもは、三つのWITHでコミュニケーションを図っています。WITHとは何かというと「ともに」ということです。

  1. 一方的ではなくともに語ろう
  2. ともに気がつき合おう
  3. ともに行動しよう

よくわかった。社長のいうこともよくわかり、従業員のいうこともようわかる。
「ともに行動しよう」  行動したら何が出るか、結果が出る。
経営というのは、結果を出すためにやるのですから、コミュニケーションだけで終わったらだめです。

 

大川イズム

一番大事なのは夢。ビジョンを掲げること。そして、それを公言することです。思想、イズムのない会社は滅びます。本田イズム、松下イズム、イズムのある会社はすべて栄えています。経営者のそのビジョンが末端まで浸透していくと、イズムになるのです。
経営者も従業員も、迷うときがあります。その迷ったときに、いや、やっぱりこれをやるんだ、これが使命なんだと、帰って行く心のふるさと。それがビジョンであり夢であり、経営理念なんです。

 

大川社長は、ことあるごとに社員を一堂に集めて、夢や経営理念を語っていたことを思い出します。

私はCSKが初めての会社でしたので、会社ってこんなものかと当時は思っていました。しかし、転職して三つの会社を経験した私は、CSKは特別なんだなと気がつきました。大川社長は情熱的に夢を語っていたんだと思えてきました。

パナソニックグループに転職して、松下幸之助の経営理念を勉強しました。最初はCSKに似ていると思いましたが、大川社長は松下電器を参考にしていたのだと思います。しかし、大川社長の経営理念は、松下幸之助の経営理念をより実践的に語っていました。

 

CSKのその後を知る

私は、1981年の春に転職してCSKを去ったので、その後のCSKはあまり知りませんでした。1982年に東証2部に株式を上場、1985年に東証1部に上場しました。その後、CSKグループと呼ばれるように関連会社を作り大きくなりました。

1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生したときの義援金寄付について書いてありました。

チャリティー活動を行ってきた「じゃがいもの会」が被災者救援のために10億円を寄付したのである。この10億円は、実は大川が「じゃがいもの会」を通して寄付したものであった。彼はこの寄付によって自分が美談の主人公として扱われることを嫌い、わざわざそういう方法をとったのである。
たこ焼きを値切りつつ、一方では10億円をポンと寄付する。
その山頂から谷底までのような大きな懸隔こそが、大川功という男の人間的な「幅」であったといえよう。

私は、ほんの3年間しかCSKに在籍しておりませんでしたが、このエピソードを読み大川社長の人間の大きさは、なんとなく想像が付きました。


そして、2001年3月16日 逝去(享年74)されたそうです。日本ベンチャーの父 大川功 ・・・残念です。


 

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