世界初マイクロコンピュータの開発は日本人
私は、1976年にベンチャー企業V社でインテルの8bitマイクロプロセッサを使用した開発を行って感動しました。こんな小さなLSIチップでコンピュータが実現できているわけです。
世界初のマイクロプロセッサは、1971年にインテル社が開発した4bitマイクロプロセッサ4004でした。インテル4004の開発に、インテル社と日本の電卓メーカーであるビジコン社の嶋正利さんが関係していたことは有名な話です。当時は電卓の開発競争の時代で、電卓用LSIの開発をビジコン社はインテル社と共同開発しているときに、インテル社のデッド・ホフのアイデアからマイクロプロセッサが生まれたそうです。
その後、8bitマイクロプロセッサの8080が開発され、パソコンや産業機器に搭載され爆発的にヒットしました。
我が青春の4004
1991年、私は嶋正利さんが書いたこの本を知り、夢中で読みました。
- 『マイクロコンピュータの誕生 我が青春の4004』
- 嶋正利 著
- 岩波書店
- 1987年8月28日 第1刷
- 1988年1月25日 第2刷
目次
[1] マイクロコンピュータ誕生の背景
[2] 電卓用汎用LSIの開発
[3] マイクロコンピュータのアイデアの出現
[4] 世界初のマイクロプロセッサ4004の設計と誕生
[5] 8080の開発
[6] Z80の開発
[7] Z8000の開発
[8] これからのマイクロプロセッサ
電卓用汎用LSIの開発
ビジコン社では、いろんな機能に対応できるような電卓用汎用LSIの開発を計画していました。従来のランダム論理方式ではなく、マクロ命令の概念でひとつの汎用LSIで複数の機種に対応するプログラム論理方式の回路を考えていたようです。下記の引用で、マクロ命令の概念が理解できます。
プログラム論理方式とは、電卓の機能をなるべく細かいレベルでの動作にまで分解し、汎用化させて、それをマクロ命令として定義し、次にこのマクロ命令を用いてプログラムを組み、電卓の機能を実現させる方式であった。
マイクロコンピュータのアイデアの出現
ビジコン社提案のプログラム論理方式(マクロ命令)に対して、インテル社のボブが4bit CPUというマイクロ命令方式のアイデアを提案しました。嶋正利さんが提案を受け入れたのは、短期間ですがコンピュータプログラミングの教育を受けていたので概念が理解できたからだそうです。
提案された基本命令がコンピュータの機械語とほぼ同一レベルだったからである。
1971年11月に4004が発表されて、マイクロコンピュータが正式に誕生しました。
8080/Z80の開発
嶋正利さんは、1972年11月にインテル社に入社して8080の開発に参画しました。その後、ザイログ社で改良型8080といえるZ80を開発しました。
私は、8080やZ80を使用した開発を経験して、すばらしいマイクロプロセッサだと感じました。その当時は、アセンブラ言語でプログラムを記述して、デバッグは機械語レベルで行っていましたので、コンピュータのハードウェアの仕組みについてもよく理解できました。
あとがき
1986年12月、ブイ・エム・テクノロジー株式会社を設立して、現役復帰したそうです。
現役に復帰してまず感じたのは、開発の仕事がものすごく楽しいものだと再認識したことと、世の中にないものを生み出すことの重要性を再認識したことである。18年前に電卓用のLSIを開発すべく、25歳の若さで渡米したときの「燃えるような気持ち」がよみがえってきた。
私も大学を卒業してから60歳で定年を向えるまで、ソフトウェア開発の技術の道を歩んできたので、開発は楽しいという気持ちは同じです。